ヨーロッパ 植民地 なぜ
植民地. 三角貿易とは、19世紀、イギリスが清 (中国) との貿易で流出した銀を回収するため、植民地のインドを加えた3国間で行った貿易のこと。 18世紀後半、イギリスの国内で紅茶を飲むことが習慣化され、大量の茶を清から輸入することになった。 なぜ、アフリカでカカオ栽培が広まったのかというと…-奴隷制度でのプランテーション農業-ヨーロッパでチョコレートが普及し需要が拡大すると、ヨーロッパ諸国は生産量を上げるため、 植民地である中南米でプランテーション農業 を行いました。 イタリアの植民地が他国に比べて少ないのは、単純に国家としての成立が遅かったからなのです。 イタリア王国による植民地政策の開始 1882年にイタリアの海運会社が、石炭基地設立の為に紅海のアッサブ湾を購入しており、これがイタリア初の海外領土とされています。 なぜ東アジアとヨーロッパと北アメリカだけが経済先進国なの? スウェーデンの名無しさん ノルウェーが第三世界だと確定しました 日本の名無しさん >西ヨーロッパ 現代科学と産業革命、植民地主義が生まれたところ >北アメリカ 膨大な天然支援がある西ヨーロッパの延長 >東アジア 日本 https://media.rakuten-sec.net/articles/-/13276, どうして危険な食べ物ばかりなのか。国は食の安全に無関心だから自分の命は自分で守るしかない. タイが植民地にならなかったのは、タイが欧米の侵略に抗するだけの軍事力をもっていたからではありません。 仏領インドシナとイギリスの植民地ビルマに挟まれたタイは、イギリスとフランスの植民地が直接には接しないための緩衝(かんしょう)地帯としての役割を果たしていました。 植民地支配の影響 その際ヨーロッパ諸国は自国の支配域を確定させる為に、既存の民族分布の境界線の上から、人為的な国境線を引きました。 それが様々な民族の分断や混在を招き、今なお続く民族紛争を誘発する結果となってしまったのです。 オーストラリアとイギリスの関係について見ていきましょう。植民地と宗主国であった歴史を始め、5つのポイントを軸にして確認していきます。オーストラリアとイギリスは、アングロ・オーストラリアンや英豪関係とも呼ばれる特別な関係を築いています。 (Princeton Economic History of the Western World), 追記:この記事を書いた後に自分でも『なぜヨーロッパが世界を征服したか』を読んでみたので、感想を付けたそう。, ●中国が統一されていてヨーロッパが分断されていた理由として、ジャレッド・ダイアモンド的な地形決定論を否定して政治史に理由を求めている箇所が印象深かった。 ヨーロッパの人らは互いに争いあう好戦的な文化を進化させてきたこと(文化進化論が参照されている)、あとキリスト教会も皇帝とかの影響力を抑えて自分たちの権力を保ちたかったのでヨーロッパを統一するのではなく分断する方向にがんばっていた、みたいな。, ●ヨーロッパがアメリカ大陸をはじめとして世界中を支配するようになった理由としては銃火器などのテクノロジーや軍事技術の優位と病原菌の抗体という二つの要素がよく指摘されるが、病原菌についてはその影響力は過大評価されていると論じて、じゃあなぜヨーロッパではそれほどまでに軍事が発達したか…その理由は、ヨーロッパでは「1:戦争が頻繁に起こり続けていた。2:支配者たちにとって戦争の勝利が魅了的であり、大量の金が戦争に注ぎ込まれていた。3:古い軍事技術ではなく銃火器が重点的に使用されていた。4:軍事技術のイノベーションを適用することに対する障壁が少なかった」から、と論じている。, ダイアモンドとかは「1:戦争が頻繁に起こり続けていた」ことだけにヨーロッパの軍事の発達の理由を見出すんだけど、それだと同じように戦争が頻繁に起こり続けていたインドなどではヨーロッパのように軍事が発達しなかった理由が説明できないのであり、「2」以降の条件が必要になる、という議論。, 「2」に関しては、好戦的な文化が培われていたヨーロッパでは支配者たちは戦争の勝利を得て名誉を得ることを追い求めており、戦争に熱心であった。, 「3」に関しては、例えば中国などでは遊牧民に対処する必要性が常に存在していたが、遊牧民に対しては銃火器よりも弓矢騎兵の方が有効だったために銃火器にリソースがあまり注がれずに、銃火器同士で争っていたヨーロッパのように近代的な軍事(テクノロジー、戦略や技術)が発達することはなかった。, 「4」に関しては、敵国同士の距離が近いので一方で発達した技術をもう一方が真似することが容易であったり、軍事製品そのものだけでなく軍事技術に関わる人的資本も国境を越えて移動しやすい環境だったから。, あとは支配者が戦争をしようと思った時に国内から反発を受けることが少ない政治体制、戦争のために必要な資金をいつでも用意できる課税能力、力のバランスがある程度保たれていたこと(あまりに強すぎる国がいたら、他の国は戦争を起こす前に諦めて降伏してしまう)ことなど。国が動かずとも個人の探検家や企業などの民間レベルで海外征服を行うことが促進される環境があったことも一因。, ●日本の戦国時代や中国の王朝交代期にも銃火器を含めた軍事の発達が起こっていたが、どちらも統一されてしまってヘゲモニーができたので戦争が起こらなくなり軍事の発達が途絶えてしまった。逆に言えば、統一さえされていなければこれらの国の軍事がヨーロッパを上回って世界を支配する可能性もあった。, 例えば、チンギスハンが登場せずに元による支配が行われずに、南宋が西夏や金とずっと戦い続けていたとしたら中国でも軍事技術が発達し続けていたであろうし産業革命も早々に行われていたかもしれない…と論じられている。, *1:“no object, thought, or profession but war.”, DavitRiceさんは、はてなブログを使っています。あなたもはてなブログをはじめてみませんか?, Powered by Hatena Blog なぜヨーロッパの国々は東南アジアを植民地にしたんですか? 有史以来ヨーロッパにはオリエント(欧州から見て東の地域)への憧れが何故かあります。特に絹・お茶・香辛料などはどれも高価な値段で取引さ … 【950万人虐殺】なぜ?「インディアン戦争」先住民対白人のアメリカ開拓史, 西へ勢力を拡大していって最終的にたどり着いたのがカリフォルニア。そこから先は太平洋ですが、白人たちの勢力拡大は止まりません。さらに西へと海に出ます。武力によってハワイを乗っ取り、米比戦争という侵略行為によって60万人のフィリピン人を虐殺し、アメリカはフィリピンを植民地にします。, 帝国主義とは、一つの国家・民族が自国の利益や領土や勢力の拡大を目指すため、政治的・経済的または軍事などの面で他国や他民族に対し侵略・支配・抑圧し強大な国家をつくろうとする運動・思想・政策である。 大航海時代に、海外の植民地をつくって、ヨーロッパ各国は利益が出たのでしょうか? 世界史を勉強していると、大航海時代というのは、ヨーロッパの国々の視点からみると、ロマンのある時代ということになると思いま… // この画像はネット上に出回っているもので、第二次大戦前の世界地図だとされている。日本とタイ以外の地域はすべて欧米の植民地であり、日本が植民地化されるのも時間の問題だった。だから、日本は反撃に出るしかなかった──。この画像には、しばしばそんな解説が添えられる。 現在、植民地を作っているヨーロッパの国はありませんから。 ヨーロッパの国々がアジア・アフリカの国に到達した時の最初の目的は貿易です。 そして、その貿易は彼らに富をもたらしましたから、それは国策となり、各国は東インド会社やら西インド会社を設立して重商主義を進めていきました。 16世紀ヨーロッパが「大航海時代」(The Age of Discovery)に「発見した」土地を次々と武力で奪って植民地にしていった時、日本はなぜ植民地にならなかったのでしょうか。 ヨーロッパ人が世界の植民地 化を ... なぜヨーロッパ人は異世界の住人に友好的でなかったのか しかし、ここでひとつの疑問が生じます。 ポルトガル人やスペイン人たちは、なぜ平和的にアフリカやアメリカ大陸の人々と接することができなかったのでしょうか。 その原因はひとえに「キリス ヨーロッパの宗教戦争や国内の政治紛争のため、ヨーロッパに、はじめのうちは特にイギリスに住みにくくなった人たちが(悪く言えばイギリスで食い詰めた連中が)、インディアンが住んでいるところに勝手に侵入してきた。 はじめ少人数の頃は、仲良くやろうという態度で接していたが、� アメリカ大陸の植民地化 ; アメリカ大陸史: イギリス植民地: イタリア植民地: オランダ植民地: クールラント植民地: スウェーデン植民地: スコットランド植民地: スペイン植民地: 聖ヨハネ騎士団植民地: デンマーク植民地: ドイツ植民地: バイキング植民地: フランス植民地: ポルトガル植民地: � アフリカ植民地とは、18世紀後半から第一次大戦前にかけて、ヨーロッパ諸国が帝国主義のもとアフリカ諸国を植民地にしていったものです。 アフリカは産業革命後の工業化を進める欧州諸国にとって、豊富な資源供給先となり、アフリカの植民地化は次第に加熱していきました。 こんにちは、妹の兄です。 先日、ある人から「それって差別じゃないの?」と言われました。 その人は「差別=悪い事」と思っている様子でしたが、差別に良いも悪いも無い、差別するのは人として当然のことだと私は ... こんにちは、妹の兄です。 子どもの頃、「テレビばかり見てたらバカになるぞ!」と父からよく言われていました。 当時は「テレビを見るヒマがあったら勉強しろってことかな?」と子どもながらに思っていましたが、 ... こんにちは、妹の兄です。 まずはじめに、私は韓国人が嫌いです。しかし偏見も嫌いなので、韓国人の帰化について思うことをできるだけ公正に書きたいと思います。 Contents1 日本国籍を取得する韓国人に ... こんにちは、妹の兄です。 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」はビスマルクの名言として有名です。 私は賢者でも何でもありませんが、この言葉が大好きです。 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」は奥深 ... こんにちは、妹の兄です。 歴史的観点や世界的観点から日本を見ると、「今の日本はおかしい」と私は思います。 日本の問題点は、政治・経済をはじめ、貧困や所得格差、少子高齢化や人口減少、年金制度や国民医療費 ... こんにちは、妹の兄です。 今生きている全ての人は、誰一人として例外なく、「今が良ければいい」「自分さえ良ければいい」と思って生きています。 私はもちろん、あなたもです。 このように言うと、「いえいえ、 ... こんにちは、妹の兄です。 ニュースでは日韓問題が連日取り上げられ、コメンテーターが「日韓関係を改善」とか「若い世代には親韓親日が多い」、「政治と文化交流は別」、「国と個人は切り離して考えるべきだ」、「 ... Copyright© ワタシノイモウト , 2020 All Rights Reserved Powered by STINGER. ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化(ヨーロッパしょこくによるアメリカたいりくのしょくみんちか)では、主にコロンブスがアメリカを発見してから17世紀まで、約200年間の南北アメリカ大陸 植民地化の流れを概説する。 アメリカは、イギリスにタバコや砂糖、コーヒー、綿花などを。, 人が奴隷として貿易対象になるということは、白人にとって黒人はモノ程度にしか見ていなかったのです。イギリスは黒人の人権よりも嗜好品が大事だった、アメリカは黒人の人権よりも貿易や開拓による利益が大事だった。人権侵害という言葉が薄っぺらく感じてしまうほど残酷な史実です。, しかも、イギリスがアフリカに輸出していたものは「武器」です。食料や衣料であったり、教育、産業、医療などアフリカを豊かにするものではなく、人を傷つける「武器」です。その国で武器が出回ると、その国がどうなるのか想像に難くありませんが、白人にとって黒人同士の殺し合いなどどうでもよかったのでしょう。, 1863年のリンカン大統領の奴隷解放宣言後も、1884年のベルリン会議で行われたアフリカ分割、白人至上主義を掲げるKKK(クー・クラックス・クラン)の存在、黒人初の米国大統領がつい最近だったことを考えれば、白人至上主義は今でも根深く残っているといえるでしょう。, アメリカの独立というと、「13植民地」や「フレンチインディアン戦争」、「ボストン茶会事件」、「アメリカ独立戦争」などが思い浮かびますが、大きく捉えると、良くも悪くも今のアメリカは、イギリス人を中心とした白人によって作られた国といえます。, 1620年でしたか、イギリス人がメイフラワー号に乗ってアメリカ東海岸プリマスに上陸。ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)と呼ばれる人々や迫害を逃れてやってきたピューリタン、その後も貿易や開拓による利益を目当てにやってきた白人たち、その子孫らによって後のアメリカ独立につながります。, そして白人たちは未開拓の地を開拓する為に、先住民1000万人のうち950万人を虐殺しながら、東海岸から西海岸へと勢力を拡大していきます。また白人たちは、先住民の文化や言語を禁止し、キリスト教や言語学習(英語)を強制します。, 詳しく知りたい方はこちらのサイトへ。 こんにちは、ジュウゴです。 産業革命についての2回目の記事になります。 前回の記事では、産業革命とは何か、その本質を説明しました。 今回から、産業革命がなぜイギリスで最初におこったのか? その理由・要因を全3回にわけて、わかりやすく解説します。 英仏植民地戦争はヨーロッパ・インド・新大陸で戦争が別々に展開していきました。ウィリアム王戦争(新大陸)=ファルツ継承戦争(西欧)、アン女王戦争(新大陸)=スペイン継承戦争(西欧)→ ユトレヒト条約で決着、ジョージ王戦争(新大陸)=オーストリア継承戦争(西欧)→アー� アフリカは、アメリカに人(黒人奴隷)を。 この質問の「中国」とは「中華人民共和国」の事でしょうか。 中華人民共和国は、1949年に建国している新しい国なので、直接的な戦争はあまりしていません。直接戦争は1979年の中越戦争ぐらいで、朝鮮戦争やベトナム戦争など間接戦争の方が印象としては大きいです。 日本のせいで植民地を失ったヨーロッパ. タイが植民地にならなかった理由について記事は「タイミングが良すぎた」と紹介。タイの左右の国はそれぞれ英国とフランスが植民地にしていたが、間にあったタイは英仏が衝突を避け緩衝地帯として残されたため、植民地にならずにすんだと分析した。 政治家が悪いのか?、官僚が悪いのか?, じつは日本とアメリカの関係を見ると、もうそういうレベルの話ではないのかもしれません。, 教科書では、1951年サンフランシスコ平和条約によって日本は独立し主権を回復したとされていますが、今の日本とアメリカの関係を見ると、悲しい事に日本は独立国でも主権国家でもありません。アメリカの属国。今でもアメリカの支配下なのです。, 月2回ほど行われている日米合同委員会では、アメリカ側は在日米軍の幹部、日本側は高級官僚が議論し、日米地位協定の運用が合意されています。, そうすると、政府が簡単に介入できる領域ではないのは明らかです。政府すら介入するのが難しい。それは少なくとも我が国が独立国家ではないという証です。, まだ書きたいことがあるのですが、長くなりそうというか脱線しそうなのでこの辺でまとめます。, 改めて欧米の植民地支配を振り返ってみると、今の常識では想像しづらい歴史ばかりです。もちろん、その当時はそれが常識だったのですから、今の私たちがそれを非難することはできませんが、この記事を書きながら歴史から学べることは多いなと改めて思いました。, それはつまり、74歳以下の人たちは戦争を知りません。80歳の方も幼くて戦争を覚えていない方々、戦前を知らないという方々です。, 現代の日本というのはアメリカが作り上げた非常識な世の中であっても、小学校から大学まで徹底的に教育された私たちは、その非常識を「常識」と錯覚してしまうのかもしれません。. 植民地時代、ヨーロッパはアメリカ大陸に進出し、北アメリカではネイティヴインディアンを一掃し、南アメリカではアステカやインカ帝国を抑え支配します。アフリカやアジアでは、経済的支配などはあったもののアメリカ大陸のようなヨーロ 日本のせいで植民地を失ったヨーロッパ. また、植民地時代に存在したインディオの共有地は、自由主義的な私有財産権の権利の下に19世紀を通して解体され、アラウカニア征服作戦や砂漠の開拓作戦によって植民地時代にはヨーロッパ人の支配を受けなかったパタゴニアがチリとアルゼンチンによって征服された。 // この画像はネット上に出回っているもので、第二次大戦前の世界地図だとされている。日本とタイ以外の地域はすべて欧米の植民地であり、日本が植民地化されるのも時間の問題だった。だから、日本は反撃に出るしかなかった──。この画像には、しばしばそんな解説が添えられる。 「なぜイギリスで最初の産業革命がおこったのか?」 その答えのひとつは、イギリスが広大な植民地を手にしたからでした。 なぜイギリスは戦争に勝利できたのか. 改めてヨーロッパの植民地支配の歴史を振り返ると、今の日本は欧米の植民地と思っています。 植民地支配の手段というのは、昔と今では大きく異なり、昔のように表立った強引な手段を使わなくても、実利さえ得られれば、闇の支配者となって裏でコントロールすればいいわけです。 オラン� アジアには50近くの国がある。 その中で、植民地にされなかった国が2ヶ国あります。 日本 タイ 数あるアジア諸国の中で、なぜ日本、またタイは植民地にされなかったのが、ここからわかる日本という国がどういう地域かを見ていきたいと思います… アフリカ分割から始まったアフリカの植民地化は、その後のアフリカの発展や開発に多大な影響を与えました。その影響について詳しく見ていきたいと思います。現在の世界においてアフリカ(一部の北アフリカを除く)は、西洋的なスタンダードで見れば最も発展や では、なぜ、欧米は大きなリスクをとりながらも、植民地化に取り組んだのか。それは経済的な動機というよりも、思想的な動機が強くあったからだ。 セシル・ローズ(Wikipedia 引用:帝国主義 - Wikipedia, 簡単にいうと、「自国の利益の為だから、武力によって他国を侵略し、領土や植民地を拡大しよう!」という自分勝手な思想や政策です。, 欧米の帝国主義によって、世界中のほとんどの国が欧米の植民地、あるいは領土を奪われ欧米に支配されます。「欧米」と一まとめに言いますが、アメリカはヨーロッパの独立国です。, 濃い青は欧米の植民地になったことがある国と地域、薄い青は領土を奪われたことがある国と地域、灰色は植民地になっていない国と地域です。, 19世紀半ば、欧米の植民地や支配下になっていない国は、ほぼ日本と中国(清朝)ぐらいでした。その理由は様々ですが、ヨーロッパ勢にとって日本は極東、アメリカ勢にとって日本は極西という地理的優位性が主な理由だと思います。, しかし、中国はイギリスとのアヘン戦争によって南京条約という不平等条約を結び、イギリスに香港を奪われ、ロシアには北から満州を奪われ、フランスには南から中国南部を奪われ、日本だけが唯一、欧米からの侵略を逃れた国ということになります。19世紀半ばの話です。, 日本は江戸幕府の鎖国政策をとっていましたが、1853年ペリーの黒船来航をきっかけに、翌年1854年には日米和親条約を締結し開国します。, 開国といえば聞こえはいいですが、要は「オレたちに“何か”よこせ」という要求、いや脅迫なのです。, 当時最新の米国艦隊(黒船)を浦賀に入港・停泊させ、日本人に脅威を与え恐怖心を煽ったうえで、ペリーは日本に対して、捕鯨を行っていたアメリカ船への水・食料・燃料の供給、遭難船の救助、出島以外の港の開港という一方的な要求をし、「言うことを聞かなければ戦争するぞ」という恫喝外交を仕掛けてきたわけです。, その後、様々な戦争が起こるのですが、複雑になるので、それはまた別の機会にお話したいと思います。, ここまでは過去の植民地支配について簡単に振り返ってきましたが、2019年現在、「植民地支配」というものはあるのでしょうか?, 帝国主義で動いている国はほぼ無くなり、侵略や略奪など武力による支配は少なくなりましたが、代わりに経済や金融、洗脳、脅迫などの手法を用いた植民地支配は今も続いています。, 「ここは我が国の領土だ!植民地だ!」と、わざわざ植民地支配していることを公言しなくても、他国から経済的利益さえ得られれば支配者側には何も問題ないわけです。, 友好や同盟といった形で支配する。そうすると国際的な批判を避けられますし、それを支配されている国の民が知らなければ、デモやクーデター、独立運動や独立戦争が起こることもありません。支配する側にとっては管理が楽ですよね。, 「日本は欧米の植民地」と言って、どれほどの人が理解してくれるか分かりませんが、今の日本の現状を考えると、日本は欧米の植民地としか思えません。, 例えば、最近でいうと、「消費税増税」、「種子法廃止」、「水道民営化」、「入管法改正」など、 オーストラリアがイギリスの植民地であった歴史から、両国は文化や伝統において深い繋がりを持っていることは明白で、同時に両国の間には長い文化交流の歴史があります。 例えば、両国で公用語とされている言語は「英語」であり、オーストラリア英語とイギリス英語は異なる部分が多いものの、共通する特徴も多く抱えています。 一例として「r」の発音について。 アメリカ英語では単語の最後に「r」の音が来ると、巻き舌 … ヨーロッパ人のために大農園をつくって強制労働させる土地は、やがて「植民地」と呼ばれるようになる。 植民地はアジアにもしだいに増えていく。 ↓ とくにオランダはインドネシアを植民地化。 香辛料の一大産地だったから、オランダ大儲け。 また、ヨーロッパ人たちと同様の免疫をインド人たちも持っていたので、インドの植民地化の説明にもならないのだ。免疫と同じく、工業化も説明としては不合格である。工業化を始める前ですら、ヨーロッパは既に地球の35%以上を支配していたのだ。 それが日本が戦争をしたおかげ、本当にそうなんですけど、日本が戦争をしたおかげで、植民地をみんな失って、日本というのは本当に素晴らしいことをしたんですけど、アジア、アフリカ諸国が全部独立しました。 まずは、ヨーロッパの植民地支配の歴史を復習したいと思いますが、一言でいえば、当時のヨーロッパ人は非人道的です。しかし、その当時は植民地支配が常識だった時代ですから、今、その国やその国の人々を非難することは出来ないものとして簡単に振り返りたいと思います。 それが日本が戦争をしたおかげ、本当にそうなんですけど、日本が戦争をしたおかげで、植民地をみんな失って、日本というのは本当に素晴らしいことをしたんですけど、アジア、アフリカ諸国が全部独立しました。 アフリカ分割(アフリカぶんかつ)とは、1880年代から第一次世界大戦前の1912年までにかけて、ヨーロッパの帝国主義列強によって激しく争われたアフリカ諸地域の支配権争奪と植民地化の過程のこと。. 今回紹介するのは、歴史学と経済学の教授であるフィリップ・T・ホフマン(Philip T Hoffman)が2015年の10月に Foreign Affairs に掲載した記事。同年に発売された自著の 『Why Did Europe Conquer the World ?(なぜヨーロッパが世界を征服したのか?)』の宣伝的な記事であると思われる。私は世界史に詳しい訳ではないのでこの記事や著書でされている主張の妥当性とかオリジナリティとかは判断できないのだが、英語圏ではそれなりに話題になっている本であるようだし、記事の内容も面白かったので紹介する。歴史や軍事関係の訳語に間違いがあるかもしれないが勘弁してほしい。, 1492年から1914年にかけて、ヨーロッパは地表の84%を征服した。ヨーロッパ人は植民地を設け、彼らが住み着いた全ての大陸はヨーロッパの影響を受けた。これは必然的な出来事ではなかった。実のところ、この出来事を説明するために、歴史家も社会科学者も生物学者も数十年にわたって悩んでいるのである。アジアや中東の社会の方がずっと発達していたというのに、なぜ、いかにして、ヨーロッパは世界のトップにまで登り詰めたのか?, 今のところ、満足な答えは得られていない。だが、この設問の重要さは最大級である。どの国が奴隷貿易を運営したかということから、どの国が金持ちへと成長してどの国が貧乏の泥沼から脱出できずにいるのかということまで、全てのことをヨーロッパの力が決定したのだから。, ヨーロッパが支配を行えた理由は明白だ、と考える人もいるかもしれない。ヨーロッパは最初に工業化した地域であり、先住民の人口を激減させた天然痘などの疫病に対する免疫も持っていた。だが、多くの若いネイティヴ・アメリカンの戦士たちが疫病を生き延びたことを考えると、後者だけではヨーロッパがアメリカを支配できた理由の説明にはならない。また、ヨーロッパ人たちと同様の免疫をインド人たちも持っていたので、インドの植民地化の説明にもならないのだ。免疫と同じく、工業化も説明としては不合格である。工業化を始める前ですら、ヨーロッパは既に地球の35%以上を支配していたのだ。もちろん、ヨーロッパ人が銃や武装船や築城術(fortifications)のテクノロジーを工業化によって発達させたことは決定的な影響を与えた。だが、アジアに存在していた他のどの主要な文明もヨーロッパと同様の火薬のテクノロジーを持っていたのであり、その多くがヨーロッパと同じく銃を用いて戦っていたのだ。, では、何がヨーロッパの成功をもたらしたのか?…その成功の大部分は、ヨーロッパの政治指導者たちが直面していたインセンティブによってもたらされたのである。政治指導者たちに戦争を起こさせるのみならず、戦争に大金を費やすことにも駆り立てたインセンティブだ。たしかに、ヨーロッパの君主たちは宮殿を建てていた。だが、あの巨大なヴェルサイユ宮殿でさえ、ルイ14世がそれを建てるのにかかった費用は税収の2%以下である。残りの税収は戦争に使われたのだ。ルイ14世や他のヨーロッパの王たちは、子供の頃から、戦場で名誉を追求するように育てられていた。ただし、戦争に参加しても彼らには何もコストが発生しなかったが…負けた時に王位を失うリスクすらもなかったのだ。他の地域の指導者たちは、ヨーロッパのそれとは非常に異なるインセンティブに直面していた。そのために彼らの軍事力は弱いままであったのだ。例えば、中国の皇帝たちは税金を低く抑えることを推奨されていたし、その税収もヨーロッパの王たちが熱中してたような軍事的な名誉を追求するためにではなく人民の生活のために使うことを推奨されていたのである。, 上述の理由やその他の様々な理由により、戦争におけるイノベーションという点で、ヨーロッパの外の指導者たちはヨーロッパに太刀打ちできなかった。ヨーロッパ内における戦争に費やされた膨大な金額は、新しい武器や武装船を買ってみたり新しい戦術や築城術や補給メソッドなどを試してみることを可能にする柔軟性を軍事指導者たちに与えていたのである。この過程で、軍事指導者たちは自分たちが犯した間違いから学習していき、テクノロジーを改良していった。そしてヨーロッパの国々は小さくて地理的な距離も近かったために、ライバル国の犯した間違いから学んだりライバル国の行った改良をコピーすることも簡単だったのである。例えば、1628年にスウェーデン王のグスタフ・アドルフは2層の軍艦の中でも初期のものを建造したが(ヴァーサ号)、その船は海に出てから間もなく沈没してしまった。しかしスウェーデン海軍と他のヨーロッパ諸国の海軍はこの失敗からすぐに学習を行い、18世紀には2層かそれ以上の砲塔甲板(gun-decks)を備えた軍艦を建造するようになっていた。それらの軍艦は17世紀のものに比べて安定しているというだけでなく、より長距離を移動できたうえに機動性も高くなっていたのだ。, ヨーロッパの外では、政治と軍事の状況が、戦争のイノベーション(特に火薬テクノロジー)がヨーロッパほどに容赦のないスピードで進歩することを妨げていた。例えば、中国で軍事に費やされる税収はヨーロッパと比べて遥かに少なかった。18世紀後半にはフランスの一人当たりの税金は中国の15倍であり、イングランドは中国の40倍であった。また、中国で集められた税金の大半は新しい形の戦争には使われず、弓騎兵団(archers on horseback)を強化するために使われた。中国にとって長い時代に渡って主敵であった遊牧民たちと戦うには弓騎兵の方がマスケット銃士よりもずっと有効だったのである。さらに、ほとんどの時期で中国は東アジアで支配的な勢力(dominant power)であり続け、中国に挑戦しようとする敵は少なかった。それは、中国には軍事に多大に費やすインセンティブが少なかったことを意味する。その結果、東アジアでは火薬武器を使用する機会が少なかったのである。, 対照的に、ヨーロッパには東アジアのように支配的な勢力が存在しなかった。そして、火薬テクノロジーを進歩させることについて西ヨーロッパが一度でも先を越せば、中国がそれに追いつくのは困難であった。進歩が起こっている場所は大陸の遥か向こう側であったからだ。, ヨーロッパの軍事的優位は19世紀まで続いた。ヨーロッパが工業化するにつれて税収も上がり、産業革命による科学と工学のイノベーションは戦争を行うによってだけでなく研究を行うことによってもテクノロジーを改良することを可能にした。それはヨーロッパ人たちが戦場から学んだ物事を更に拡大させたのだ。, 1914年には、ヨーロッパは世界的な軍事支配を確立しただけでなく、戦争に費やすための多大な税収を調達することができる強力な国家を打ち立てていた。フランスとドイツでは、一人当たりの実質税収は前の2世紀から15倍以上に増えていたのである。このずば抜けた課税能力は、工業化がヨーロッパにもたらした一人当たりの税収の増加という事象だけで説明出来る範囲を優に超えている。この能力は、火薬テクノロジーを発達させたのと同じく学習の結果によるものである。今回は軍事テクノロジーではなく経済に関する学習であるということが唯一の違いであるが、その報酬は税収を増加させるための契約をエリート層と結ぶことに成功した政治指導者たちが得ることになった。そして、指導者たちは新たに増えた税収を陸軍と海軍を拡大して軍備を増強することに費やしたのである。, ヨーロッパほどの課税能力を得ることは決して簡単ではない。19世紀になっても中国は税収をヨーロッパと同等にまで上げることができなかった。そして、サブサハラアフリカの国々は現代になっても基本的な課税能力に欠けているのであり、そのために自国の市民たちに安全やその他の公共財を提供することもできずにいる。, ヨーロッパには他にもアドバテンージがあった。ヨーロッパの起業家たちは、征服・植民化・軍事貿易(militarized trade)を行うための探検をする際に火薬テクノロジーを用いることが許されていたのだ。通常は航海を行うためには公的な許可を取る必要があったが、起業家たちは海外に富を発見することを切望している権力者たちに奨励されることが多かった。そして、起業家たちは何の問題もなく武器を入手することができたし、事業に参加したが戦闘に慣れていない新米たちを鍛えるためのベテランを雇うこともできたのである。17世紀にはこのような私的な探検が巨大な企業を生み出しており、それらの企業は、海外へ事業を展開する出資として必要である莫大な資金をヨーロッパの急成長する資本市場から調達していた。その代表的な例がオランダ東インド会社であり、オランダの外交政策における唯一の私軍であったが、取引可能な株券(tradable shares of stock)を発行した最初の会社でもあったのだ。, ヨーロッパとその他の国々との最後の違いは政治史に存在している。紀元前221年以降、中国は一つの巨大な帝国に統一されている期間の方がそうでない期間よりも長かった。中華帝国は創立後すぐに中央集権化された官僚制を発展させたが、それは地方のエリート層を政府の官吏にして政府に引き込むことによって地方エリートにも帝国が存在することに利益関係を持たせるものであった。地方の官吏に対する報酬は帝国を団結させたのであり、帝国が強力であり統一されている間は、東アジアの他の勢力は中国を攻撃するのに躊躇した。このことは、まだ見ぬ敵を捜し出したり新しい機会を追及するインセンティブが中国には少なかったことを意味する。, 対照的に、ローマ帝国崩壊以降の西ヨーロッパは中華帝国のように持続した統一を経験することがなかった。その代わりにヨーロッパは何世紀にも渡る戦争を耐えなければならなかったのである。その戦争は戦士団たちの間で行われたが、その戦士団の主導者たちは現代の将軍たちと似通っている。絶え間のない戦争によって、勝利を得ようとする指導者たちが鍛え上げられていった。争いはそれぞれの指導者とその従者たちから成る各集団の間に永続的な対立を生み出し、その対立はやがて永続的な政治的国境という形をとることになった。西ヨーロッパが単一の指導者によって統一されて何世紀も中国に存在していたような帝国が築かれることを妨げていたのは、自然の地理ではなく、集団間の悪意によるものだったのである。結局のところ、戦争の資金を調達するために重税を課す方法を学んだ軍事指導者たちが西ヨーロッパの勝者となった。その結果としてヨーロッパはファラオ王のごとく莫大な金額を戦争に費やす王たちと共にあることになったのだ。マキャベリに言わせると「戦争の他には何も目的がなく、戦争の他には何も考えておらず、戦争の他には何も適性がない」王たちである*1。, 戦争に対するひたむきな集中と類い稀なる課税能力がなければ、ヨーロッパ帝国は存在しなかったかもしれない。戦争とそれに費やされた税金は軍事的テクノロジーのずば抜けた優位をヨーロッパに与えた。それはヨーロッパが征服を行うことを可能にしたし、大量の部隊を海外に駐留させずとも現地民たちを管理下に置き続けることも可能にした。軍事的なアドバンテージがなくてもヨーロッパは豊かに成長できていたかもしれないが…もっと早くから工業化されていた可能性すら存在するのだが…、1914年に世界を支配してはいなかっただろう。, Why Did Europe Conquer the World? ブログを報告する, A Culture of Growth: The Origins of the Modern Economy (Gra…, Political Order and Political Decay: From the Industrial Re…, “no object, thought, or profession but war.”, ひとこと感想:『Vitrtue Signaling: Essays on Darwinian Politics & Free Speech』. 投稿日:2019年4月28日 更新日:2019年11月2日, 改めてヨーロッパの植民地支配の歴史を振り返ると、今の日本は欧米の植民地と思っています。, 植民地支配の手段というのは、昔と今では大きく異なり、昔のように表立った強引な手段を使わなくても、実利さえ得られれば、闇の支配者となって裏でコントロールすればいいわけです。, オランダがインドネシアを植民地にしていた頃は、オランダ人が支配者でインドネシア人が奴隷という単純明快な図式で分かりやすいものでしたが、今の植民地支配の手法は複雑化していて、誰が誰に支配されているのか分かりにくい世の中になっています。, ですから、「今の日本は欧米の植民地」と言ったところでピンと来ない人も多いと思いますが、史実を振り返ることで今の日本が何なのか見えてくる気がします。, まずは、ヨーロッパの植民地支配の歴史を復習したいと思いますが、一言でいえば、当時のヨーロッパ人は非人道的です。しかし、その当時は植民地支配が常識だった時代ですから、今、その国やその国の人々を非難することは出来ないものとして簡単に振り返りたいと思います。, 大航海時代で有名なのは、スペインの航海士コロンブスがアメリカ大陸を発見した話ですね。, ポルトガルは東廻りに、スペインは西廻りでアジアを目指し、コロンブスはアメリカ大陸を発見します。発見といっても、既に先住民がいたわけですから、「人類史上初めてアメリカ大陸を発見した人」ではなく、「白人として初めてアメリカ大陸に到着した人」です。, ちなみに、アメリカ大陸の先住民を「インディアン」と呼んだのは、コロンブスがアメリカ大陸をインドと勘違いしていたからと言われています。, ここまでは世界史の教科書に書かれていることですが、コロンブスは先住民であるネイティブアメリカン(インディアン)を虐殺して弾圧し、先住民を奴隷として植民地化します。, コロンブスは東方見聞録に記された黄金郷「ジパング(日本)」に憧れ、日本を植民地にすれば、黄金を手に入れることが出来ると思っていたみたいです。まあ、当時の日本は戦国時代でしたから、仮にコロンブスが日本に来たとしても日本を植民地にするのは難しかったでしょう。, 白人至上主義を簡単に説明すると、白人は他の人種より優れているとか、白人は神、それ以外の人種は家畜とか、白人は尊く、有色人種は卑しいという人種差別的な考え方、そういう思想です。, 画像元:https://media.rakuten-sec.net/articles/-/13276, イギリスを中心とする北西ヨーロッパは、アフリカに武器などを。
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